紙切れ(血統証)なんてどうでもいいと聞くと、複雑な気持ちになります。
血統証は繁殖者が申請します。
2匹しか生まれていなくても4匹生まれたと嘘をついて余分に作っておくこともできます。
そうしてテテキトーに血統書をつけて売る、ということもできてしまいます。
(なので信頼関係が大切)
仕組みを知った方が「紙切れ」と言うならまだわかります。
でもそうではなく、「わたしは紙ではなく目の前のこの子を愛している」という言葉の裏返しです。
違和感の理由がわかりました。
目の前のこの子はどこから来たのでしょう。
お父さんとお母さん、そのまた双方のお父さんとお母さん、そのまた、そのまたとたくさんの祖先がいて目の前に我が子がいます。
親戚サイトは利用して、血統証(戸籍)は紙切れ?
祖先を否定し、「自分さえよければどーでもいい」に聞こえるのです。
前述のように、世の中には不確かな申請もあるでしょう。
でもわたしはスヤスヤ眠っている赤ちゃんたちの横で、一文字ずつ願いを込めて申請用紙に書き入れていきます。
美人になるかな、たくましくなるように...。
赤ちゃんのお父さんお母さん、ずっとずっと続くルーツに感謝しながら。
何匹もの犬を世話してくれた代々の人たち、何匹もの代々の犬たちの走る姿が見えるようです。
彼らのためにも、この子たちを大事にしよう、と。
目に見えないものが世の中にある、自分が知らないこと、見えないことにも感謝しよう。
そういうことだったんだとモヤモヤがはっきりしました。